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芸能人インタビュー
- 人一倍努力もしたけれど、私がここまで来られたのは皆さんの支えがあったからこそ 2023.02.20
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抜群の美貌と高い演技力を武器に、数々の作品で輝きを放つ高島礼子さん。どんな質問にも飾らず率直に答える姿からは、誠実な人柄がうかがえます。そんな高島さんが「経験を生かして演じた」と話す映画『いちばん逢いたいひと』が2月24日から公開されます。
「いちばん逢いたい人」を原動力に懸命に生きる人々の物語
「いちばん逢いたい人は、やっぱりお母さんですね。母は私が20歳の時にガンで亡くなりましたが、もっと何かしてあげられたんじゃないかって、今でも思います。親って不思議なもので、若い時に亡くなったからとか、もういい歳まで付き合ってきたからといって悲しみは変わらないと思うのですが、それにしても若すぎたので…。これだけはずっと後悔していますよ」
少し寂しそうな笑顔でお母様との思い出を話す高島さん。最新出演作『いちばん逢いたいひと』では白血病の娘に寄り添う母を演じていますが、その苦労や辛さは自身の経験と重なる部分があったそうです。
11歳の楓は、ある日突然倒れ、急性骨髄性白血病と診断された。抗がん剤治療や放射線治療は過酷でしかなかったが、同室の与志を心の支えに、ドナー候補者を待っていた。同じ頃、IT企業を経営する柳井は幼い娘を白血病で亡くし、さらに横領の罪で社長の座を追われる事態に陥っていた。家族も仕事も失った彼にとって、今や骨髄ドナーであることだけが人生で唯一誇れることだった――。
白血病と骨髄移植について、もっと知って貰いたいとの想いからスタートした映画『いちばん逢いたいひと』。娘の白血病を共に乗り越えた、堀ともこプロデューサーの実体験に基づく物語です。
「子どもに先立たれるほど辛いものはないのではないでしょうか。私は親になったことがないので想像するしかありませんが…。ただ、家族の背負った大変さや苦しみはよく分かります。私も母の病気や父の介護を経験してきましたから。
父の介護で忘れられないのは、看護師さんから『もう病院に来ないでください』と言われたこと。病院は健康な人が行くと、知らず知らずのうちに疲れてしまう所だからって。でも芸能界にはそういう方が多いみたいですね。やっぱり人目を気にして頑張り過ぎちゃうんですって。私はそんなつもりじゃなかったのですが、母の時の後悔もあって、ちょっと過保護になっていたんです。そんな時、さっきの言葉をかけていただいて。今回の役は、こういう経験も生かせたのではと思います」同世代との差を感じたデビュー当時。「人の10倍やらないと」
さまざまな経験を糧に女優業に邁進してきた高島さん。今や映画・ドラマ・舞台・バラエティなど各方面で欠かせない存在ですが、女優デビューは25歳と芸能界では遅い方でした。
「25歳って言ったら、はっきり言ってこの世界ではベテランじゃないですか。だってアイドルの方とかだったら、すでに一つの盛り上がりが終わって、これから先どうやって生きて行こうか悩んでいる時期。そこに何も知らない私が意気揚々と入っていった訳ですから(笑)。当時の私から見れば、同世代なのに彼女たちはずいぶん先を行っているなと感じましたね。同時に、そんな方たちに付いていくためには、人の10倍やっていかなきゃいけないなとも思いました。
でも、私がここまで来られたのは、ほとんどが人との繋がりのおかげなんです。自分の力だけでは、とても辿り着けなかったです。どれほど無力で大根役者だったことか。応援してくれる方やアドバイスをくれる方がいなければ、今の私はありません。だからこそ、結果が出せなかったり、挫折してやめたりするのは、とても恥ずかしくて申し訳ない。ここまでして頂いたからには結果でお返ししたい。そういう気持ちは当時も今も変わっていません」■プロフィール
女優/高島 礼子
1964年神奈川県出身。1988年「暴れん坊将軍Ⅲ」で女優デビュー。「陽炎」シリーズ、「極道の妻たち」シリーズなどで注目を集め、2001年には「長崎ぶらぶら節」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。ドラマ、映画、舞台などで活躍中。
ヘアメイク:佐々木大輔(TRINE) スタイリスト:村井緑 ○衣装、ネックレス/MOGA (モガ)03-6861-7668 ○ピアス/ABISTE (アビステ)03-3401-7124
■インフォメーション
「いちばん逢いたいひと」
2月24日(金)よりシネ・リーブル池袋ほか全国順次公開
■出演/倉野尾成美(AKB48)
三浦浩一 不破万作 田中真弓
大森ヒロシ 丈 崔哲浩
中村玉緒(特別出演) 高島礼子 ほか
■監督・脚本/丈
■配給/渋谷プロダクション ©TT Global