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芸能人インタビュー
- 私は忘れません。歌が私を生かし、皆さんとの温かい縁がうたう力をくれたことを 2018.06.18
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演歌歌手・渥美二郎さん。ギターを手に酒場でうたい歩く〝流し”から始まった演歌道を半世紀にわたり歩き続けてきました。これまでの歩みや歌に対する思い。今年で24回目になるチャリティーコンサート「人仁の会」などのお話をうかがいました。
末期がんを克服し実感する命の尊さ 強まる歌への情熱!
「50年あっという間でした。しかし一番好きなことをしてこられた。私は幸せ者です」 穏やかに語るのは、歌手の渥美二郎さん。昨年、演歌道五十年記念曲『涙色のタンゴ』を発表しました。洒落たタンゴのメロディにのせて恋する女性の切なさがうたわれます。 「私は男なので女心は想像するしかありません。自分の想いをのせることもありますが、それ以上に明瞭な言葉で歌を届けようと心がけています。聴く人が歌の世界にひたり楽しむことが一番ですから」 歌を聴いてくれる人の想いを大切にうたう渥美さんのその姿勢は、〝流し”時代に培われたと言います。 「うちは父と叔父も流しで、私も16歳の頃、4、5曲しか持ち歌がないのに酒場に飛び込んだんです。当然リクエストには応えられない。怒鳴られても、追い出されても必死にうたいました。3曲200円が相場のところ、〝頑張れよ”と、500円を頂くこともありましたね。厳しくも温かいお客さまに励まされました」 その後、渥美さんは作曲家・遠藤実に師事、1976年に歌手デビュー。3枚目の『夢追い酒』が大ヒットし、演歌歌手として不動の地位を築きます。順調に歌手の道を歩みますが、その道のりは平坦ではありませんでした。 「37歳の時、末期の胃がんを宣告されたんです。最後になるかもと、兼ねてから念願だったハワイ公演を退院後に行うことを決めました。ハワイには熱心に応援してくれる日系人の方が多くいらっしゃったので。手術後も不安が残りましたが、ダメだった時は頭を下げようと」 想いの全てをこめた2時間のステージ。うたい終えた時、もうこれで思い残すことはないだろう、と渥美さんは思っていました。 「ところが、体中から力がわいてくるんです。うたいたい、と心から思いました。それからは、多くの方から自分や家族ががんになった体験を聞き、大勢の苦しむ人の存在を知りました。自分の使命は皆を勇気づけること、へたばっている場合ではない、と気づくと転移もなくもうすぐ30年。担当の医師も驚いています」 限りある命の尊さを実感し、より強くなるステージへかける情熱、応援してくれるファンへの感謝の想い。 「コンサートで『夢追い酒』をうたうと、お客さまもうたい始め、大合唱が巻き起こるんです。歌手として、こんな嬉しいことはないよね」
歌の力で支援を!
チャリティーコンサート「人仁の会」1995年、阪神淡路大震災が起きた年から『人仁の会』を毎年開催している渥美さん。被災した子ども達のために始めたチャリティーコンサートで、収益の殆どが寄付にあてられます。命に向き合う渥美さんだからこそ、長年続けているコンサートです。 「震災の年に生まれた子が高校を卒業するまでの18年間は開催する予定でした。目標の年数まであと少しのところで東日本大震災が起きて…。被災した人達のためにも、このコンサートは続けていくべきだと思っています」 今年のコンサートも鏡五郎さんや西尾夕紀さん、島津悦子さんら、8名の歌手が集結。仲間とお客さまとともに盛り上げてきたコンサートです、と渥美さんは微笑みます。 「歌は人を元気にし、そして、元気になった皆さんの笑顔で私自身も笑顔になれる。私は忘れません。歌が私を生かし、皆さんとの温かい縁がうたう力をくれたことを。その恩を歌で返していきたい。うたうことはなによりも健康の秘訣です。皆さんといつまでも元気に楽しみたいですね」
■プロフィール
歌手/渥美二郎
1952年東京都生まれ。16歳から流しを8年間続け、1976年「可愛いおまえ」で歌手デビュー。2年後、「夢追い酒」が大ヒットし、54年度日本レコード大賞ロングセラー賞をはじめ数々の賞を受賞。流しの経験を活かし、リクエストにこたえてうたうコンサートも人気を博している。
■インフォメーション
演歌道五十年記念曲 涙色のタンゴ
発売中/1,300円(税込)
発売元: 日本コロムビア(COCA-17298)--------------------------------------------------------
震災チャリティーコンサート 第24回 人仁の会
■会場/セシオン杉並 日時/6月27日(水) 開演17:00 料金/6,000円(税込・全席指定) 【問】渥美二郎後援会事務局03-3341-6026(平日11:00~15:00)