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芸能人インタビュー
- 苦しみに満ちた世の中で、「そんなに捨てたもんじゃない」と思える今日がある 2011.09.20
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苦しみに満ちた世の中で、
「そんなに捨てたもんじゃない」と思える今日がある明るい人柄と軽妙な語り口。「歌で泣かせ、トークで笑わせる」歌手のさだまさしさん。全国コンサートツアーは毎年平均100回を超え、ひたすら第一線で走り続ける。「命、時間、心。思い通りにならないことが創作のテーマなんだ」というさださん、現在作家としても活躍中だ。
■選択肢に満ちた時代だからこそ『不自由』が生じる
「僕ね、この間、色鉛筆買ったのよ。二段か三段組みで100色以上もあるヤツ。それで絵を描いてたんだけど、葉っぱの色を塗ろうとして途方に暮れたんだ。どれがその色だろうって。そのとき、あぁ俺、つまらないことで悩んでるなぁと思ったね」と笑った。
その人情味溢れる声を聞いていると、『雨やどり』『秋桜』『案山子』…数々の名曲が耳に蘇る。目の前の人は、数えきれないほどたくさんの人たちを歌で勇気付けてきた。現在、作家としても活躍中だ。
色鉛筆の話は続く。
「僕らが子どもの頃は、だいたい12色なんだよ。葉っぱは緑って決まってた。100以上もある中からなぜこの色を? と聞かれても答えに困るね。今の若い人たちって、そういう悩みが多いんじゃないかな? たくさんの中から『どれを選んでも自由、あなたの人生です』って言われても、そりゃあ難しいよ」
さださんの5冊目の著書となる『アントキノイノチ』は、『今の若い人たち』が主役の物語である。…アントキノイノチ?? いかにもさださんらしい、遊び心に満ちたタイトルだ。しかし読み進めていくと、このタイトルに込められた深い意味がわかってくる。■人の心を、命を破壊する前に、どうか引き返してほしい
―僕は二度、あの男を殺しかけた―
ある事件をきっかけに高校を中退した永島杏平。心も感情も閉ざし、家に引きこもる生活を送っていた。しかし唯一信頼する父の勧めにより、ある会社で働くことに。それは、『天国への引っ越し屋さん』―亡くなった人の部屋を片付ける、遺品整理業だった。
さまざまな人の「死に様」に触れ、そして苛酷な現場にも怯まず仕事に取り組む先輩社員を見て、杏平は「生きること」「命の重さ」について考えるようになっていく…。
『アントキノイノチ』には、さまざまな形の悪意が登場する。自分の中から沸き上がる悪意を、憎悪を、どのように抑えるか。それがテーマにもなっている。
「水が高い所から低い所へ流れるように、人は悪へ、ラクな方へと流れていく。一度悪の方に流れると、開き直って何度でも繰り返す。だけど本当はいつだって引き返せるんだ。そのことを発信し続けていかなくちゃいけない。取り返しがつかなくなる前に」
さださんが強くそう思うのには、理由がある。世の中を震撼させた、東京・秋葉原の無差別殺傷事件。2008年に起きたこの事件に、さださんは強いショックを受けた。
「犯人の供述や言葉を聞いていると、極めて普通の人間なんだ。彼はインターネットというバーチャルな世界に依存し、自分の人間性を否定され、追い詰められていった。彼のしたことはもちろん許されることじゃない。でも僕は、彼があそこ(犯罪)へ追いやられたような気がしてならないんだ。誰か一人でも『そんなバカなことやめろよ』って言う人がいれば…。彼は犯行に及ぶ直前、短いけど、躊躇していた時間がある。『本当にやるのか?』『誰か止めてくれ』って…彼の悲痛な叫び声が聞こえてくるんだ。
俺も、彼を追い詰めた一人なんだと思う」
さださんは口をつぐみ、俯いた。
「生きるって苦しいことばかりだよ。この世を楽園だと思っているとズタズタになる」■傷だらけの人生が美しい音楽となり、
昇華されていく
生きることは、苦しい。身をもって体験していなければ、出てこない言葉だ。
さださんはヴァイオリニストになるため、家族の期待を一身に背負い、中学一年生で上京。故郷を離れるのも、家族や友人と別れるのも寂しかったが、三歳から演奏家を目指して生きてきたのだ。しかし才能の限界を感じ、高校でクラシックの道を断念。深い挫折感と共に、自分を支え続けてくれた両親への罪悪感に苛まれた。しかし、そんな彼を救ったのもまた、音楽だった。ギターをつま弾き、詩を書き、歌を歌った。
そんなさださんの人生は、あることを境に大きく変わる。水難事故でいとこが亡くなったのだ。友であり、家族でもある、同い年の大切な存在―彼の死は、さださんの心にどれほどの痛みと哀しみを与えただろう。さださんは彼のために歌をつくった。それが『精霊流し』('74)である。
美しいメロディー、透き通った歌声、叙情的な詩…多くの人の心を震わせ、大ヒットとなった。その後もヒット曲を連発。全国的に有名な歌手となっていくが、それと同時に、歌が暗いだの何だのと、世間から好き放題言われるようになる。
「『関白宣言』では女性蔑視だと言われたり、『防人の詩』ではマスコミに好戦的だと叩かれたり、とにかく色々言われたよ(笑)」
28歳になると、映画製作で35億円もの借金を背負う。とても支払える額とは思えないが、さださんは投げ出さなかった。コンサートを盛んに行い、今まで以上に歌い続けた。たくさんの人が足を運んでくれた。そして26年かけ、ついに完済した。26年、である。
『暗い』と言われたさださんの歌に、必ず『救い』があるように、さださんは苦しみの中でも、必ず光を見つけ出してきた。闇が深ければ深いほど、その光はさださんの胸を温かく満たしていく。
「人生は苦しいもの。そういう前提で生きていると、『いや、そうでもないぞ』って思える今日があったりするじゃない。そんな日に出会えたとき、ああ、人生捨てたもんじゃないなって思える。幸せが何十倍にも感じられる。そんな日があるから、また生きていける。
僕は弱い人間だから、生きていく上でのさまざまな痛みを、つい叫びたくなっちゃうんだ。それが『精霊流し』だったり、海は死にますか~(『防人の詩』)だったり。青二才なのに、悟ったような顔して歌ってましたね」
さださんはふと、寂しげな表情を浮かべた。
「一年前に親父が他界したんです。亡くなる前に、『おまえ、ようやく自分の歌に追い付いたなぁ』って言ってくれてね。歌づくりばかり先行して、歌手としての僕は、足が遅かったから。年と表現したいことがやっと一致してきたってことなんだろうな。あの言葉は…胸に沁みましたね」
宙を見つめ、しばし無言になる。こちらの視線に気付くとニコッと笑った。これまでの苦労をまったく感じさせない、屈託のない笑顔。
いや、何度も転んで、傷だらけで生きてきたからこその、明るい笑顔なのだろう。歌手・作家/さだまさし
1952年長崎県出身。'73年グレープとしてデビュー、『精霊流し』『無縁坂」が大ヒット。'76年ソロデビュー後も『雨やどり』『関白宣言』『北の国から』など数々のヒット曲を生み出す。'11 年6月にはソロコンサート通算3850回を突破。'01年より作家としての活動も始め『精霊流し』『解夏』『眉山』等のベストセラーを世に送り出す。【アントキノイノチ】
高校時代のある事件を機に、心を閉ざしてしまった永島杏平。父の紹介により『遺品整理業』の現場で働き始めた杏平は、久保田ゆきと出会う。命が失われた場所で共に過ごす中、次第に心を通わせていく二人。そんなある日、ゆきは衝撃的な過去を杏平に告げ、彼の前から姿を消してしまう…。モントリオール映画祭にてイノベーションアワード受賞! 心揺さぶる感動作。
■監督/瀬々敬久 出演/岡田将生、榮倉奈々他 11月19日、全国ロードショー~Information~
(幻冬舎文庫)さだまさし著 630円
FRCA-1231 3,300円(税込)