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絶望の淵から這い上がる女を 女優浅丘ルリ子が演じきる! 2011.06.20
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絶望の淵から這い上がる女。

これまでの自分を捨ててでも、共に生きたいと思った

 

日本を代表する大女優が、「あんまり笑うとお肌に差し支えるのよ」と気さくに笑った。今なお第一線で輝き続ける浅丘ルリ子さんが、50人の老女たちの究極の生を描く映画『デンデラ』に挑んだ。彼女の象徴であるアイメイクを封印し、70歳にして新たな境地を拓く!!

 

■これまでの女優人生で、もっとも苛酷だった撮影現場

 

  山形県庄内、一月。雪吹き荒ぶ山奥。ぼろを身にまとい、土くれや垢で真っ黒に汚れた50人の老女たちが、真っ白な雪の中を駆け回っていた。その目は爛々と輝いている。
 その中でひときわ存在感を放つ人物がいた。あらゆる汚れにまみれた無骨な風貌から、キッと鋭い瞳が浮かび上がる…。
 今、目の前で、その人は別人のようにエレガントな装いだ。華やかなジャケット、薄紫に彩られた爪、メイクもバッチリ。「このアイメイク、流行しないかしら」と真顔で呟く。

 

 こちらが本来の『浅丘ルリ子』である。

 「私は撮影中、体にカイロを13個貼っていたの。多い人は20個よ(笑)。本当に凍り付くような寒さでしたから…。服を何枚も着込み、靴も重ねて履いて。現場に立つまでの準備に、毎回とても時間がかかりましたね」

 

 雪の上に長時間横たわる等、共演者が「ルリちゃん、頑張って…」と思わずハラハラするシーンも。浅丘さんは、これまででもっともハードだった撮影を振り返る。「何よりスタッフの方々ですねぇ…」としみじみ頷いた。

 撮影スタッフはキャストのために心血を注いだ。2万5千個ものカイロを発注し、歩きやすいように雪を整備し、休憩用の小屋をつくり、照明を山中に張り巡らせ…。「役者が入るのは、準備をすべて整えて頂いた後。表舞台には立たないけれど、スタッフのお蔭で、私たちは安心して演技に集中できるんです」
 そう言って、浅丘さんはじっとこちらを見つめた。吸い込まれそうな瞳だ。

 

■その場の空気を一変させる力を持つ稀有な存在

 

  14歳のデビュー以来、今なお芸能界の第一線で活躍し続ける浅丘さん。そんな彼女が、どれだけ経験を重ねても苦手なのが、舞台だ。「お客様の目の前でお芝居をするなんて、もう怖くて怖くて。未だに震えますよ」

 初舞台のオファーが舞い込んだのは、38歳のとき。ずっと映像の世界で生きてきた浅丘さんにとって、舞台など考えられなかった。もし台詞を忘れたら…想像するだけでも恐ろしい。もちろん迷うことなく断った。しかし、相手は諦めなかった。何度断ったかわからないほど、断り続けた。攻防はしばらく続く。「でもね」と浅丘さんはくすくす笑う。
 「舞台の上で頭が真っ白になるという悪夢を、何度も見たんです(笑)。不思議よね。いつか舞台に立つことを、どこかでわかっていたんでしょうか」

 

 そして、ついに初舞台を踏んだ。蜷川幸雄さん演出の『ノートルダム・ド・パリ』だ。
 “舞台にカメラはないが、観客の目は浅丘さんをアップで捉える。どんなに遠くても”
 蜷川さんの評である。「最高の褒め言葉よね」と、浅丘さんはとても嬉しそう。
 舞台稽古にも、役に合わせた自前の衣装とメイクで颯爽と現れる浅丘さん。他の共演者がラフな格好でも、浅丘さんは外見から本番のように臨む。
 雑然とした稽古部屋を、浅丘さんがハイヒールで動き回る。台詞を言う。感情が迸る…。すると、スポットライトに照らされた舞台が見えてくるのだ。浅丘さんの力に恐れ入る。蜷川さんが決して浅丘さんを諦めなかったのも、頷ける話だ。

  

■『浅丘ルリ子』を脱ぎ捨て、

役と共に生まれ変わる

 

  浅丘さんは日活映画黄金時代、看板女優として10年間で100本もの作品に出演した。テレビドラマ全盛期にテレビへ、舞台へと躍進は続く。
 そして70歳を迎えた今、転機となる作品に出会う。それは、さまざまな意味で浅丘さんを困惑させた。

 「出演するかどうか、私はいつも即決なんです。でもこの作品は、なかなか答えを出すことが出来なかった。頂いた台本を読み、何度も考えて、信頼できる人たちにも相談して、それでも迷いました。何しろ、真冬の豪雪の中で40日間のロケという撮影です。体が持つかどうか。でも、物語にどうしようもなく魅せられて…。『姥捨山』に続きがあるなんて、想像できますか?」
 気付けば、浅丘さんは白装束を着て、息子に捨てられた『斎藤カユ』として、雪の中で震えていた。

 

 本作で浅丘さんは、ポリシーであり、アイデンティティでもあるアイメイクを封印することに。「これが、出演を迷う理由のひとつでもありました。アイメイクは、『眼力(めぢから)』を補強するための武装。とても大事なのよ」
 しかし彼女の不安は杞憂に終わった。むしろアイメイクがないからこそ、浅丘さんの持つ本来の『眼力(めぢから)』が、よりいっそう、強く、美しく輝いた。
 ―舞台は、70歳になった老人を捨てる風習の残る、山間部の貧しい村。捨てられた老女たちは山奥の『デンデラ』という共同体で、助け合って生きていた。村に復讐するために…。

 カユは意識を失った後、彼女たちの手によって助け出された。
 「着るものも食べ物もろくにない極寒の山奥では、生きるのも死ぬのも、同じぐらい大変です。極楽浄土へ行けると信じていたカユは、『なぜ助けた!』と、最初はデンデラの人に反発します。でも彼女たちの想いに触れ、さまざまな困難に立ち向かう中で、カユは少しずつ変化していくの。『本当は、死ぬのは怖かった』。その本心に気付き、受け入れることで、生きる意欲を取り戻していくんです」

 

 70歳で、自分の居場所から追い出される。捨てられる。これまでの人生をすべて否定されたかのように。一度はすべてを諦めたカユ。しかしそれでも、再び生きる気力を奮い立たせたのだ。
 同い年のカユの強さに、浅丘さんは惹き付けられた。「もし自分だったら?」そんな想いに突き動かされ、カユという人物を演じずにはいられなくなった。カユとして生きる決意をしたのだ。
 「押し付けられた『運命』に抗い、命を燃やすデンデラの老女たち。最後のひとかけらまで生き尽くそうとする姿に、気高さと、愛おしさすら感じます」

 

 監督に絶大な信頼を寄せていた浅丘さんだが、ラストシーンだけは、台詞の変更を強く迫った。「今のカユの意志とかけ離れている。変えてくださらないなら、私は役を降ります」と、監督に訴えたのだ。
 長時間に渡る話し合いの末、監督は台詞の変更を受け入れた。
 「私の想像を遥かに上回る台詞を生み出したの。当初よりも深く、余韻のあるラストシーンになったわ。やっぱり監督は凄い!」
 『斎藤カユ』の尊厳を守り通した浅丘さん。役の魂を預かる表現者として、これからも私たちを魅了し続ける。

 

 

 

◎女優/浅丘ルリ子
あさおか・るりこ 満州生まれ。『緑はるかに』(1955年)でデビュー。石原裕次郎との共演など日活黄金時代の多くの作品でヒロインを演じる。『男はつらいよ』シリーズでは4作品に出演。映画、テレビ、舞台と幅広く活躍。ゴールデンアロー賞、ブルーリボン賞、菊田一夫演劇賞など受賞多数。2002年紫綬褒章受章。

 

 

 

◎映画『デンデラ』
村の掟により雪山に捨てられた70歳の斎藤カユ。極楽浄土に行けると信じながら力尽きて倒れたが、目を覚ますと見知らぬ建物にいた。周りにいるのはカユより前に捨てられた老女たち。彼女らは『デンデラ』という共同体を作り、今も生きていた。カユでちょうど50人目だ。デンデラ創始者であり、30年前に捨てられたメイは「時は満ちた」と、村への復讐計画の実行を宣言する…。

 

 

■ 監督・脚本/天願大介 
■出演/浅丘ルリ子、倍賞美津子、山本陽子、草笛光子 他 
■6月25日より全国ロードショー


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